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100kmつづき・・・

文字数が多すぎるとか何とかいって一回の投稿ができなかったので100kmの続きです・・・
 
*****
 
こんな感じで大会当日を迎えることになったのです。
当日は朝から雨。天気予報では台風の影響もあまりなく、晴れるとまで予報していたのに・・・
 
バスの中はそういった空気が充満していたように思う。  
 
 
出発!
法螺貝の音に見送られ、100kmの旅に出かけた僕はコースがどうとか時速何キロだとかそういったことは一切考えていなかった。
とにかく歩ききること。行けるとこまで行くこと!それのみ。だったのだが・・・  
 
最初の30kmはトイレ休憩くらいで歩き続けた。おにぎりを食べたかな。
 
後半はすでに足を引き摺って歩いていた。全くペースも上がらないし、他の参加者が平気で歩いている姿を見て、
こんなんじゃ完歩なんて無理かも・・・なんて思いがすでに・・・
 
それでも30kmのCPで笑顔の出迎えを受け、ドリンクとリンゴをいただき、ストッレッチで元気を回復した気がした。(きっと元気になったんだと思う)  
 
あまり休憩することなく、体をほぐしたらすぐに出発した。
 
次は40km! この区間、最も雨と風が酷かった。風で膝が前に進まない・・・前が見えない・・・
 
そういった中を偶々、一緒になった早川さん(Hさん)と歩き切ることができた。
 
痛い足を引き摺って一緒に歩いたHさんとはなぜかこの40kmCPで生き別れになってしまった・・・  
 
あまり休憩を長く取ることもなく40kmCPを出発した時に東の空には大きな虹が!
ダブルアーチになって架かって、自分や参加者皆を励ましてくれているような気がした。
 
振り返ると西の空は真っ青な空!とうとう雨は上がった!
 
だが、自分の足の状態はガタガタ。虹も消え、暗くなる景色に足取りは重くなる一方・・・
 
一体、今どれだけ歩いているのか・・・本当に歩ききれるのか・・・足が痛い。足が痛い。足が痛い。。。
 
 突然、軽い足取りの女性参加者が現れたのはそういう時でした。すたすたと前に出てきて歩いていかれます。
 
ついていこう!
 
強く意思を固めて足を前に無理やり進めます。こんな大会でなければストーカーです、まるで!
 
真ん円の月と海面に映る月光との幻想的な景色を眺めながらひたすら付いていきました。  
 
 
ふとその女性が立ち止まり、腰を降ろされたのをきっかけにまた、ぼくのペースはガタガタと落ちていった気がします。
それでもあと50のCPまでは少しのはずとの思いだけで歩き続けました。
 
果たしてこの先歩けるのだろうか?もうこのままリタイアしてしまった方がいいのではないだろうか?などと考えながら。
 
まだ?まだ?足が痛い。動かない。足が痛い。まだ?・・・50kmCPに着いたとき、正直もうだめだと思いました。
マッサージ受けたところで・・・といった思いもありました。となりでリタイア宣言している人がいます・・・
 
マッサージの順番がきました。  
 
「この足の状態なら楽勝ですよ!これで歩けなかったらただの根性なしですよ!」 その人はこう言いました。
 
こんなに痛い思いをしているのに。
その方は昨年、完歩したそうです。その時の自分の足の状態と比べて、これは全然問題ないようなものだと。
自分は時速2kmになっても完歩できたと。だからあなたは歩けなければおかしいと。
 
この言葉が効きました。「根性なし」で終われるかと!
 
別の女性のサポーターの方にはこうも言われました。
歩けないと思っていても歩き出すと自然とペースが上がってくるのよ。自然とね。だから大丈夫!後はあなたが歩く気持ちがあるかどうかですよと。  
 
 足は相変わらず痛いのに自然と出発していた50kmポイント。
 
次は60km!
 
途中で出会った若者は地元豊橋の人間だと名乗りました。足を挫いたのだけどさっきのポイントでマッサージを受けてリセットしてもらった。
だから頑張れるし、24時間以内のゴールという目標があると。元気な声で話してくれた。
この子と歩けたのはこの区間のポイントだった。思いっきり元気が出て、ペースも上がった思う。  
 
60kmCP、マッサージとテーピングを施してもらい、足を温めるマシンに入り、ご飯も食べ、気分よくスタート。
別に足の痛みがなくなった訳ではないのだけれど元気をたっぷりもらった気分だった。
 
暗い道のり、狭い歩道のこの区間。
 
ここでも出会いがあった。
 
一人ぽつねんと歩いていると後ろから大きな声で歌いながら歩いてくる人が!
さっきのCPで同じタイミングでマッサージを受けていた女性でした。
 「景気いいね」と声をかけると「好きな歌のリズムに乗ってあるいてるんです!」 すごい勢いで歩いている。
よし、付いていこう!またまた、ペースメーカー発見です。しかし、この子のペースは尋常じゃなかった。途中で振り切られてしまいました。
 
70km手前は上り下りのあるゆるやかな丘?だったんだけど、この辺りもうだめかもと何回思ったか。
 
それでも辿り着いたCPでスタッフの方が声をかけてくれました。
 
「ここまできたら最後までいきましょう!」  
 
70のCPで何と40CPで別れてしまったHさんと再会。
追いついたようです。ここからは一緒に歩きましょうか!ということでスタートです。
 
さっきのポイントでもリタイアたくさんいたなぁ。
この区間、非常に辛かったです。
一体どれだけ進んでいるやら。風は強い、足は風に押し返されるし。
Hさんとお互い足を引き摺っての行程はもし、一人だったらきっと歩けなかったんではないかと思います。
 
それでも一歩一歩、ペッポおじさんのように「一呼吸、一掃き」の心境です。
 
徐々に明けていく空に波の音が重なります。すぐ側に海が見えます。
 
80kmCPこの時点で正直、ここまできてもうだめかもと何回目かの諦め感が出てきます。
また、リタイア宣言している人がいました。人はひと、僕はぼくだと思っていてもどっかで引っ張られる自分がいます。
 
何といっても足が痛いんです。膝は曲がらないし、右の足首は腫れて、足の付け根は意味不明です。それでも・・・  
 
とうとう90kmを目指してスタートしたHさんと僕。
 
まともに歩くことができない自分はHさんの邪魔になってはいけないと歩き方を工夫してみたり、道端の棒っ切れを拾って杖にしたり。
この杖が効果的でした。両手に杖を持って歩くと前に進むことが楽になるのです。
 
良く晴れ上がった空の下、僕らの快進撃が始まりました。
 
頑張りました!足はお互いボロボロ、心も折れそうになっているのに・・・
それでも前に前に!心のどっかで90着いても残り10あるんやで・・・って思ってたとしても。
 
僕らは90を目指しました。 そして、とうとう到着しました。90kmCP。  
 
 「うわ~これひどいね」マッサージをやってくれた方の言葉です。
それでも残り時間4時間半。
「行けますよ」この声に後押しされて最後のあがきに出発しました。
最初の出だしは一人でした。Hさんがマッサージ中だったんですが、終わったんならスタートした方がいいとのスタッフの方の声に従いました。
 
最初の3k、約1時間。順調です。そこからしばらくした時点でHさんが追いついてきました。
そこから二人三脚です。途中、両足義足の島袋さんにも追い越されました。
 
僕らを足を止めることをやめずにひたすら歩き続けました。
 
出てくる言葉は「痛い!」「残り○km」  
 
97kmのCP。
 
とうとうここまできました!って気持ちがすごくあったCPでした。
残りがはっきりと頭に描ける距離だということでしょうか。
 
しかし、残り3kmがどんだけ遠く感じるかは歩いた人にしかわからないんでしょうね。  
台風の余波で内海だけども良い波が立っている海岸線をまたしても「一歩、一歩・・・」です。
 
それでも心にすこしばかり余裕が生まれ、この旅がもうすぐ終わるという何ともいえない気分だったような気がします。  
 
色んなものに感謝をすること。 色んなものに生かされていること。 心が折れなければできるんだということ。 ・ ・・  
 
僕はこの旅で一体、何を学んだのかってことは今のいまではあまりよくわかっていないような気がします。
 
それでも確実に大事な何かを与えられたような気がしています。  
 
例えば、この右足首の腫れが引いてしまった時に全てを忘れてしまうのかもしれないとしても・・・  
 
無理やりついてきてくれた僕の体、ありがとう。
 
最後まで支えてくれた僕の靴、ありがとう。
杖になってくれた木の枝と竹の棒、ありがとう。
 
参加者の皆さん、ありがとうございました。
 
スタッフ、ボランティアの皆さん、本当にありがとうございました。  
 
何より一緒に歩いてくれたHさん、感謝しています。
ありがとうございました。  
 
 
僕は何とか完歩することができました。    
 
*****
 
あれから5ヶ月が経ちました。
足首の腫れは2ヵ月ほどでなくなりましたが右足の親指の爪が4ヶ月目にはげました。。。
決して痛くはないのですが驚きでイッパイデス。
これは昨年10月27・28日の土日に開催された100km歩け歩け大会に参加した後に
自分なりにまとめていた感想をここにも記しておこうと思いったったものです。
 
*****
 
足の痛みが失くならないうちに想いを書き留めようと・・・  
初めて参加した100kmウォーク。
40歳を目前に控え何かしら成し遂げてみたいとの思いがあったのと100kmウォークを主催されている
企業様との知己を得たことによって実現した僕自身のイベント。
 
とにかく書き出したいことは山ほどあるのだけどどこから手をつけて良いものか・・・まとめることができるのか・・・ 
順番に書いていくのが一番いいのかもしれないので・・・
 
このイベントに参加しようと決めたのは約一年前。
以前からこういった大会には興味があったのだが中々踏み込めずにいたところ、このイベントを知り、自分試しをしてみたいと思ったのが契機だった。
 
宣言してから一年間、通勤時には階段はエスカレータを使わない。
歩いていける場所には歩いていく。
 
週末の朝、ウォーキングする・・・
いつもいつも守れた訳ではないけれど100kmの目標に向けた体作りを僕なりに始めてみた。そして続けてきた。
 
そして、大会前日。前乗りし、ホテルで知り合った方(3回目参加;完歩→サポート→参加) にお話を聞くにつけ過酷さが伝わってくる。
体力温存して早く休もうと眠りにつくも真夜中に悪寒とのどの痛みとべっとりとかいた汗で目が覚める。
頭がふらふらするし、とにかくのどが痛い。そして体にはりつく浴衣・・・
 
 フロントに電話をし、換えの浴衣とタオルを持ってきてもらい、汗をぬぐい浴衣を着替え再度眠りにつく努力をしてみる。
眠っていたのか起きていたのかあまりよく判らないような状態で目覚しがなる。
昨夜、出発の1時間10分前にセットした目覚しだ。
 
もう朝か。のどは痛いが出場するしかないし・・・とぼんやり時計を眺めていて気付いた!
 1時間前に起きているはずがすでに出発までに3分を切っている!
 
 セットした時間を間違えたのは僕だ。急いで着替えをすませ、慌ててロビーへ。 よかった!まにあった!
 
*****
 
つづく・・・
海の日の連休を利用して田舎に帰ってまいりました。
そう、あの台風が大変な猛威をふるっていた時期に名古屋から福岡行きの
飛行機に乗って行って来ました。
 
実際、飛ぶのかどうなのかってのは当日までわかりません。
俺らは午前の便10時中部国際空港発だったんだけど飛んでくれましたねぇ。
雨の降りしきる中のフライトってのはもしかしたら初めての経験だったかも・・・
後で知ったのですが午後の便は欠航になったみたいです。
 
初めて飛行機に乗る娘は搭乗前から興奮していましたし、息子は分けわかってませんでしたが・・・
 
初飛行できれいな青空と真っ白な雲の海をみせてやりたかったんですが残念ながら
ずっと雲の中を飛んでまして・・・
 
着陸時はこれまで経験したことないくらい揺れまして・・・(3月にひどい二日酔いで乗り込んだ時よりもましでしたが)
気分が悪くなって年を感じてしまいましたね・・・
 
で、福岡から田舎のある佐賀県某市まではレンタカーを利用し、何とか無事に俺の実家までたどりつくことができました。
さて、田舎でゆっくりといっても休みはたったの3日です。
俺の実家だけでなく嫁さんの実家にも行かねばなりません。
(せめてもの救いは同じ市内であること、しかし、市の東端と西の端であることと結構距離があるんですよこれが)
どちらの家にも一泊ずつする計画です。
 
田舎の家は広い!
どこか開放的な広々としたスペースを与えられて娘と息子は大はしゃぎです。
娘は何度となく来た事ある家なのですがやはりまだ記憶がはっきりしていないんだと思います。
そして、息子は初めて爺と会いました。(婆は遊びに来てくれたことがあるので会った事はあるんですね)
 
こういう時に親の嬉しそうな顔をみるのはうれしくなりますね。
しかも娘も息子もどういうわけか親の俺らより爺婆の方へ行ってくれるので手がかからずにいいですね!
 
娘は長靴を用意してもらっていてご機嫌です。
雨の中、お外で遊んでます。
息子は我が家にはない段差を乗り越えて上機嫌です。
 
そうしてたらふくお酒をいただき、うまい肉をいただき、うまい野菜をいただきました・・・
 
翌日の嫁さんの実家では台風一過、すごい良い天気でお外でいっぱい遊んでました。
俺もいままで気になっていた「山ん寺」っていう遺跡(?)に連れてってもらいました。
 
こんな山の中にこんな史跡が残っていて・・・ってすごい不思議な気がします。
 
実際にお互いの実家でゆっくりしたのはほんの少しでしたが孫の顔見世ができたこと、
親の顔を見れたこと、
とっても満足なお休みでした。
 
一つ残念なことを上げるとすれば大好きだった「白雲荘」のラーメンを食することができなかったこと・・・ 
 
何かネェ~過去を振り返ってみるってのもなかなか楽しい作業だねぇ~
 
10年以上前の記録だからかねぇ~
 
でも、あんまり成長してないねぇ。
 
 
思えば、ガキの頃からどれだけ成長してんだろぉって本気で思うよ。気持ちはほとんど変わらずに年食ってるだけじゃん・・・(経験値だけがグングン伸びていってるのです)
 
 
時々、大人って人に出会いますが・・・その人も同じような心を持っているのかネェ~なんて失礼なことを考えてしまうのは。。。あんまし、よくないですね・・・
 
 

 
 
1964/7/31 sun
 
今朝は気が重い。いきなり、一斉スタートのヒルクライムがあるのだ。スタート間近になると本当に気が滅入ってきた。
 
いよいよ、スタートだ。30台づつの一斉スタートで俺は一番外側だった。
 
「スタート!」
 
バウーーーーーン、一気に頂上を目指して突っ走った。途中で失速しないように気をつけてどうにか登りきった。すぐに左に折れて下り、そして登りだ。リエゾンだというのに必死だ。
 
山の裏に回り、昨年苦労したダウンヒルにたどり着く。
 
 
 
覚悟を決め、飛び込む。
 
「しまった!」スピードコントロールが効かない。
 
ブレーキ!リアがすべる。コケルと思った瞬間、立て直しに成功。
危ないとこは、押し、すぐに乗り込む。
次々とクリアしてあまりロスすることなく下ることができた。
 
今日の最初の2つのSSは昨日と同じだ。
 
最初のSSでは、やはり何台かに抜かれていった。それはいい、問題は次だ。
 
リエゾン最後の売店で水とポカリスウェットとを補給。おにぎり二個をほおばり、河原へ向かう。
 
 
 
 
いよいよ河原だ。今日は負けないぞと言い聞かせ、SSスタート。
 
調子は良い。ガンガン走れる。他のライダーを抜くことはあっても抜かれることはない。
 
最初の橋の下で休む。水分と塩を補給、5分程でスタート。
 
○藤が川の真ん中で休んでいる。一声掛け走り去る。
本当に調子が良い。すぐにCP(チェックポイント)がきた。
 
昨日はあんなに苦労して通過したのに。水を補給。頭にも水をかぶり、スタート。
 
次の橋の下でさらに休憩。塩をなめ、水を摂る。そこにいた二人のライダーにも塩を分け与える。
 
そしてスタート。
 
ゴールまで後、500m。そこで、トラブった。
 
コケタはずみで、アクセルが回らなくなってしまった。俺はマシントラブルに弱い・・・
 
20分程、ぼぉ~として、その後単車を押そうとするが動かない。
 
休憩・・・
 
 
 
 
押すしかない!こんなところに単車を残せる訳がない!
タイムアウトまでは後、2時間ある。押そう!
このSSだけはクリアしよう!そう決めて、単車を押す。
 
押すがちっとも進まない。小一時間程、格闘してやっとその場所を抜け出す。
 
その後も、地道な作業・・・タイヤの前にある石を取り除いては進み、進んでは取り除く・・・
 
タイムアウト直前に何とかSSをゴールできた。
 
嬉しかった!諦めなかった自分自身が嬉しかった。カムロにきて良かったと思った。
 
これで、俺のカムロは終わった。来年、俺はカムロに参加するのだろうか?それは、来年にならないとわからないが、まだ、燃焼していないのは確かである。
 
 
 

 
 
というわけで、「カムロ」編が終わりました。自分でタイプしてて、当時の感情を思い出したり、「こんなこと感じてたんだぁ」と他人事みたいに感じたり・・・
 
 
翌年のカムロには参加しませんでした。
 
翌年の1月17日。阪神淡路大震災。俺も揺れを体験し、壊れた街、再生しようとしている街を自分の目で見ました。そんな年。。。
 
 
実は、ロシアを走る計画を進行中だったのです。というか、走ってきました。これを見ている人の中に当時、一緒に走った人がいてくれたら嬉しいです。
 
 
この話はまた、別の機会に。。。
 
 
朝の清々しさとは裏腹に昼間の暑いこと・・・
 
 
それでも、空にはウロコ雲・・・
 
 
秋ですねぇ~食欲抑えて、ダイエット!成功させねば・・・
 
 
どこからか、焼き芋売りの声が聞こえてきます・・・
 
 
 
 
 
さて、昨日のつづき「レイド・カムロ」編です。
 
 

 
1994/7/30 sat
 
人の声で目が覚め、雨が降っていることに気付く。4:45
 
やはり今年も雨か。昨晩、星を隠した雲にちょっとだけ嫌な予感はしていたのだが・・・
 
しかし、外に出るとたいしたことはなく、湿り気程度といった風だった。俺は天気はくずれると予想していたのだけど、次第に回復して、ピーカン照りになってしまった。
 
 
 
杉の木のスタート台を出て(水着のお姉ちゃんがフラッグを振ってくれます(注))コマ図をたよりにAポイントに着く前におなじみのおにぎり、麦茶ポイントがあったから即、単車を止めて、麦茶を飲み、コンニャク、きゅうりを食った。なぜか、おにぎりは食えなかった。
 
Aポイントでは大渋滞で100~200台並んでいたのではないだろうか・・・
 
このあたりがカムロの難しいところだと思った。渋滞の中をどんどん前の方に追い越していくライダーがいるのだが、チェックされることがないように思われる。
 
 
SS1は普通の林道で砂利が多かった。何台ものバイクに抜き去られてしまった。
(SS=スペシャル・ステージ、スピードを競います)
 
 
 
SS2の前のリエゾンで目が痛くなったのでコンタクトを外そうとして落としてしまい探していると○藤がやってきたので一緒に探してもらった。諦めて出発しようとした時に後輪の近くに落ちているのを○藤が発見!感謝感謝である!
 
 
 
さて、SS2。水の無いガレガレの川・・・
(昨年は怖ろしいほどの増水で水没者が続出した川が、なんと流れが細くなっているのだろう・・・)
 
 
何とか走っていったのだが、体力の消耗が激しく、休憩を取らなかったために集中力を無くして、水たまりの深みに突っ込み、近くにいた人の助けを借りて水没をまぬがれた。が、体力が限界に達し、バイクを寝かしたまま木陰に転がるように入っていった。
(想像して欲しい。真夏の炎天下の河原。。。焼けたガレ石達。。。半端ではありません)
 
 
 
水分を補給し、休んでいるところにまたまた○藤がやってきた!(ほんと大助かり!○藤なくして俺はなし!だよ~)手を借りてバイクを引き上げた。
 
しかし、エンジンに火が入る気配がない。
また、木陰に入り転がって休む。体力が回復する気配がない。このまま死ぬかもしれないと思った。
吐き気もする。
 
○藤がエンジンをかけてくれた。まさに命の恩人である。○藤はそれからしばらくして走っていった。
 
俺は、その後朝食べた物を全て吐いてようやく体が楽になったのだが・・・逆にものすごい空腹に襲われてしまった。
 
その後も苦労しながらCP(チェックポイント)を通過。水分をガブガブ補給し、後4km走った。(まだまだSS2ですよ~)
 
が、それからが長い長い・・・
 
あっという間に、再び体力消耗。残りわずかの水分を補給しながら進む。
 
ゴール前(SS2ですよ~)500mの地点で○藤に追いつく。ここからがポイントで皆苦労していた。何箇所がルートがあるのだが、俺は2箇所のポイントに目をつけた。
 
1箇所は草むらに駆け上がるルート。もう一つは川を横切って右端を進むルートである。
 
草ルートは1台が突っ込んで行き、ストップしてルートをふさいでしまった。
本当はこちらが正解だと思ったのだが、俺はもう一つのルートを選び、何とかゴールにたどり着いた。
 
 
 
ゴール(しつこい様ですがSS2です)の橋の下で横になり、水分補給をし、かなりの時間休んでいると、次のCPの閉鎖時間が近いのを知り、慌てて走り出す。
 
リエゾンにしてはかなりのハイペースで進んだのだが結局、Eポイントは2、3分遅れでタイムアウトになってしまった。
 
ここで、Aポイントの大渋滞をSSクローズタイムに加算されないという俺達にとってはとても厳しい対処をされてしまった。(この時、何人くらい同じ目にあったかなぁ~あんまり覚えてないけどきついなぁと思ったね。ルールだから仕方ないけど、本来なら最初の渋滞分、時間を繰り下げるのが本来の姿だよね。渋滞を追い越していけばその分時間を稼げることになるなんてマナー違反も甚だしいけどそっちの方が得をするって話になっちゃうから・・・)
 
ここで、一日目は終了・・・
 
 
 
その日の夜、緊急時の対処の仕方についての講義があり、大変ためになった。
今日みたく、激しい運動を炎天下で行った場合、人は30gの塩分を必要とするとのことだった。
 
また、人口呼吸(マウストウマウス)や心臓マッサージも教わった。
呼吸、脈とも無い場合は、マウストウマウス2回に心臓マッサージ15回。
呼吸のみ無い場合は、マウストウマウス5回づつが基本であるということだ。
 
 
明日は頑張ろう!
 
 
 
                                    ・・・つづく
 
 

 
 
俺ってば、○藤に頼ってばっかじゃん!ほんと、今ごろ、元気にしてんのかなぁ?
 
感謝してまっせ!
 
 

 
 
中村俊輔がまたまた、やってくれてました!
 
ついでにヘラクレスの平山相太も!
 
 
 
 
 
昨日、押入れをゴソゴソしてみると出てきました、旅日記!
 
 
とは言っても記述は少ないし、適当だし、これまでの旅全部がある訳ではないから・・・
 
 
でも、読み返すと面白かったりするのでこの場で恥を忍んで当時のまま、抜粋してみようかと。。。
 
 
 
以前も書いたことのある、参加2回目の『レイド・カムロ』から・・・
 
 

 
 
1994/7/29 fri
 
さて、一息ついたところで昨日からの行動を追ってみよう。
 
昨日(7/28)、8:10位に寮からトヨタレンタまでチャリで予約していたバンを取りに行く。
バンの荷台を見た瞬間、「小さいな・・・」と思ったがそのまま借りた。
 
9:00に寮に到着。○藤(ダチンコ)にTELして単車を持ってくるように言う。
 
単車を積もうとするとまるで長さが足りない。(荷台の)
「フロントを外そう」すかさず、○藤が言った。さすが○藤である。
 
荷台に単車を載せた状態でフロントを外し、リアのブレーキランプも外してやっとこ載った。
 
次、二台目、同じ要領でフロントを外し、のっけることに成功!
大変な作業であった。
 
後で参考になったことだが、フロントに原チャリのタイヤをはめて積み込むと楽だと思う。
 
積荷を全て積んで、10:40出発!
 
京都南に11:40、名神、北陸と走って、金山着(山形県最上郡)は23:00過ぎ・・・
 
昨年より早い。(昨年は一人での参加、一人でのトリップだった)
道中はただ黙々と走るのみであった。
 
カムロバレイについた我々はテントを張る場所を探し、暗闇の中、ごそごそとテントを張って寝たのであった。
 
 
 
翌日、といっても今日だが、車の音で目が覚めた俺は、テントを出てすぐに車の移動をしなければならなくなった。車を止める場所を確保し、朝飯を作りとのんびりとした朝だった。
 
それからが大変で、狭い荷台でフロントタイヤを組み込む作業にかなりの時間を費やし、単車が走れる状態になるまで、それはそれは大変な労力でした。
 
しかし、その後はもう、のんびりのんびりで、ビールを飲み、風呂に入り、前夜祭の始まりを待つのみであった。
(その間に、マーシャルがヒルクライムコースを走って、俺をかなりビビラせてくれたが・・・)
 
17:00をまわってから、夕飯を取りに行く。今日の飯は豪勢で、金牛(かなぎゅう)のステーキとでっかい鳥モモだった!
 
 
前夜祭のステージは「サルサ・バンド」でかなり盛況だった。俺も踊りたかったのだがノリ遅れてしまい最後まで座り込んで聴いてしまった。
 
ステージ後は星を眺めながら、○藤と酒を飲んだ。これで、昨日、今日の二日間を終わりとする。
 
PS 星がすっごくきれいだった。明日はレース初日。無理をしないで、ゆっくり完走!(できたら良いなぁ)
 
 
 

 
 
むずかゆいような切ないような・・・
 
自分で入力してても、も少し脚色しよ~かなぁ、なんて。。。
 
 
でも、現場で、おそらくテントの中でヘッドランプの灯りを頼りに書いた日記には俺の肉声が詰まっているような気がします。
 
 
                                                
 
 
                                                ・・・つづく→
 

盆踊りのハナシ・・・

旅先で偶然、盆踊りに出会うことがある。
 
ひとつ・・・
 
四万十川の河原にしばらく滞在していた時
 
河原に牧を積み上げて、その周辺で行われた盆踊り
 
耳に残っているのは 
 
   ♪土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見たはぁ~よさこいよさこい♪
 
 
 
ひとつ・・・
 
和歌山県と三重県の境の辺り
 
熊野灘に面したとある小学校の軒先で野宿していた時
 
どこからか力強い太鼓の音と物悲しい唄声・・・
 
なんと!そこの盆踊りは音源は全てナマ!生ですよ!
 
ヤグラの上で鳴らされる太鼓の音に合わせて、おっちゃんがマイク片手に延々と詠っておりました。
 
この時はやたら感動したね・・・
 
 
 
旅日記がどこかにあるはずだからそいつが出てくれば当時のことがもう少し詳しく解るんだけどネェ~
 
 
 
 
 
 
今夜は雲が晴れて見事な満月がアラワレマシタ。

別府

別府湾を眺めながら・・・ 棚湯というものすごい解放感の温泉。一度、入ってみる価値ありまっせ。明日、朝晴れれば最高の御来光を拝めるかも・・・ 今日はこの辺で・・・